自己愛性パーソナリティ障害の人が自分の主張をする時、一人称を「私は」とは言わず複数形に変えて表現してきます。
それは自分の意見を多数派と印象付けて正当性を持たせるためだと私は思っています。
自己愛さんはなぜ一人称を「私」と言わないのか…この記事にまとめてみました。
これは私が長年自己愛さんを近くで見てきて感じた事です。
私は専門家でも医師でもありません。これは専門書に書いていた知識でもありません。
あくまで私が体験して感じた事をまとめているだけですので、ご参考までに。
「私は嫌だ」とは言わない自己愛性パーソナリティ障害の人
ある時私は思いました。
どうしてこの人の一人称は「私は」では無いんだろう…。
自分の意見なのに、「私はそれが嫌だ」とは絶対言わない自己愛さん。
攻撃する時、文句を言う時、意見を主張する時、一人称は必ず複数形になってしまうのです。
「私たちはそう思います。」
「一般的に考えれば…」
「社会の常識だと…」
「このチームではこうやってきた。」
「なんでそんな事もわからないの?!」
自分は多数派にいたいという気持ちの表れ&印象操作。
これは特に専門書などで見たわけではありませんが、私が常に感じていた自己愛さんの特徴の1つです。
自分は絶対正しいと思わせるために、無理やりにでも多数派の意見にしているのだと感じていました。
悪口や文句に同調を求める自己愛さんの真意
ある時、自己愛さんは気に入らない新人の悪口を私にふっかけてきました。
「普通だったらあんな事しなくない?」
「あいつ辞めさせたいんだけど。」
あまりの圧力にきっぱりと否定もできず、
「まぁまぁ…。そういう所もありますけど…まだ新人ですから…」と、なだめる対応していました。
するとどういう事か、私も新人を辞めさせたいと思っていると上司に伝わっていました。
どこをどう聞けばそうなるのー?!
自己愛さんと同じ組織にいる時は、このホラーのような伝言ゲームがたくさんありました。
時には「私だけの意見と思われたくないから、あなたも言ってたと言っていい?!」と聞かれる事も…。
無理矢理にでも「私の意見は多数派の意見で、私が正しい」という事にして主張を通したいんでしょうね。
自分の意見なんだから、正々堂々と「私はこう思います。」と言えばいいのに。
例えそれが捻じ曲げたものだとしても。
子供の頃はみんなやっていた「行き過ぎた一般化」
思い起こせばこのような「行き過ぎた一般化」って、私もどこかで心当たりがあるんです。
確か私もやっていた気がする…と、記憶をたどってみる。
すると、それは幼稚園や小学生の頃でした。
「クラスの子、みんなが〇〇だった!」
「〇〇ちゃんのお母さんも●●くんのお母さんも、いいよって言うんだって!」
「このゲームみんな持ってるんだよ!私も欲しい!」
この時の私は自分の意見に正当性を持たせようと「みんな」と言いアピール。
自分の主張を多数派と印象づけて、何としてでも意見を通そうとしていたのです。
恐らく、自己愛さんが行っているのはこれと同じ手法です。
20代、30代、40代、50代になっても心は子供のまま。時が止まっています。
「行き過ぎた一般化」の印象操作に騙されず翻訳してみよう
あなたの近くにいる自己愛さんも、この「行き過ぎた一般化」をしていませんか?
その時は翻訳してみましょう。
✔「こんな事もわからないの?」
→「私はこれはおかしいと思う」
✔「常識的に考えて、これは無いでしょ」
→「私はこのやり方は違うと思います」
こんな感じです。少しは自分が受けるダメージが減りますよね。
あの人たちは自分の意見に力を持たせるために、「一般化」という武装をさせているだけです。
また、「みんながあなたのやり方はおかしいと言っていますよ。」こんな意見も落ち込む必要はありません。
なぜなら私の経験上、みんな言っていない場合が多いからです。
自分の意見を無理矢理一般化して、正当性を持たせようとしている。
自己愛さんのこの部分に意識して、武装無しの本当の意見に翻訳してあげましょう。
周囲の人は余計なストレスに悩まされないためにも、こんな癖をつけるといいかもしれません。
自己愛さんは子供のまま時が止まった大人
自己愛さんは「自分が絶対正しい!正しくないと死んじゃう!」と、正しさにこだわります。
自分の事しか考えられないので、相手の状況・気持ちなどを読む力はありません。
言ってしまえば、心は子供のままです。
4、5歳の子供が社会に出て「僕は正しいんだ~!」とごねているようなもの。
子供と思えば「やれやれ。またイヤイヤがはじまったよ。」くらいに思えるかもしれませんね。
これからも生きやすくなる知識を身につけて、職場のストレスと戦っていきましょう!